ミノとハラミ

もろもろ忘れがちなオタクがのちのち己を振り返るために悪あがきでつけている備忘録

続・国民的アイドルのファンであるということについて

harami.hatenablog.com
これの続きのようなもの。前回もスマスマを見た直後に書いたな、そういえば。

前掲の記事の頃は、連日どこへ行っても誰かしらがSMAPベッキーの話をしていた。誰もが彼らに興味津々で、同時にちっとも興味がなかった。こぞって話題にする程度には興味があり、しかし聞きかじったあいまいな情報だけを根拠として気軽に貶せる程度には興味がない、という意味だ。誰もが知っている、とても人気のある芸能人のはずなのに、そんな「SMAPのファン」や「ベッキーのファン」が半径数十メートル以内に存在していることを、噂話に花を咲かせる人々は全く想定していなかった。当然、本人たちが今この瞬間も同じ世界で生きている事実も、蚊帳の外だった。「誰もが知っている」ということは、逆に「誰も知らない」ということなのかもしれない。誰にとっても「わたしのこと」ではないのだ。「みんなの人気者になる」ってこういうことなのか。「みんな」っていったい誰なんだろう。そんなことばかりを考える年明けだった。

そうして始まった2016年がもうすぐ終わる。つい先日、ある若い男性と世間話をしていて、わたしが前日に関ジャニ∞のコンサートを観てきたという話になった。彼はこう言った。「関ジャニはジャニーズっぽくないから好感が持てる」「いかにもジャニーズっぽいのって大倉くんと錦戸くんくらいじゃないですか?」。どう返していいかわからなかった。わたしはジャニーズ事務所のアイドルである関ジャニ∞が好きだし、そもそも本命は別の(おそらく彼に言わせれば関ジャニ∞よりも「ジャニーズっぽい」)アイドルグループだ。ジャニーズっぽくないから好きと言われても困る。そもそも、ジャニーズっぽさって何?
ただひとつわかったのは、ジャニオタってずっとこういう世間の声を浴び続けてきたんだろうな、ということだった。わたしのファン歴はたかだか4~5年で、だいぶいい大人になってから好きになったので、この手の経験がほとんどない。だけど今後、担当のグループが関ジャニ∞のように、SMAPのように、認知を広げていったら? このままわたしがファンを辞めずにいたら? わたしは、そして彼らは、生涯この声と戦い続けなければならないの? 戦っていることすら知られずに?

今、わたしはアイドルのファンをやっていくことが少し怖い。

国民的アイドルのファンであるということについて - ミノとハラミ

あれから11ヶ月、恐怖は増幅されるばかりだ。
芸能人やアーティストやアスリートを単に「好きである」ことと、彼らの「ファンである」自覚を持つこと、具体的な「ファン活動をする」ことは同じではない。でも、自認や活動の端緒が「好き」という自然な感情である以上、今日から辞めますと言って辞められるものでもない、少なくともわたしにとっては。恐怖よりも愛情が勝つあいだは、勝手にこっそり戦いながら、ファンを続けていくのだと思う。

Re: Re:

君はきっと僕より僕のことを知っていて、僕より僕のことを見ていると思う。常に何をしているか何を考えているか、僕のことを想ってくれている。それは無償の愛でしかない。今の僕にそれを他の人にできるかって言われたらできないと思う。凄いな。

ファンの「愛」を、時には気味悪く疎ましく思ったり、重荷に感じたり、あるいは驕ってしまうことも、慣れきって鈍感になってしまうこともあるだろう。それでも手紙の中では、そういったファンのありかたを大げさに歓迎するでも、もちろん真っ向から拒絶するでもなく、ただ「凄い」と彼は評した。無償の愛に包まれている、とても自分にはできないと。それは同時に、「どれだけ愛を注いでもらっても、俺はあなたに何も返せませんよ」というエクスキューズとも、「俺にはあなたが注いでくれるような大きな愛を捧げる特別な相手なんていませんよ」というアピールとも受け取れた。

比較的最近のできごとでもうひとつ印象に残っているのは、15年の6月だったかな、『世界の日本人妻は見た!』で、スペインの国民的スターとその熱心なファンという夫婦が取り上げられた時のこと。「北山くんはスターなわけですよ、部屋にポスター貼ってる熱心なファンの女の子がいっぱいいるよ、そういう人と恋に落ちて結婚したとするよ?」と爆笑問題の二人に水を向けられて、安易に笑い飛ばすでも、難しい顔をしてみせるでもなく、努めてニュートラルな表情を保ってうんうんと頷き返す様子に、彼なりの誠実さを見た気がした。直後その同じ顔で、「正直あそこまでしていただけるなら(=尽くしてもらえるなら)アリ」ってコメントするんだけど(笑)。でも、「ファンと結婚なんてないわ~と思ってたけどぉ、あそこまでしてくれるんなら……アリかな♪」とかなんとか、語彙と口調と表情の選択如何でいくらでもライトな笑いに持っていけたのに*1、案外そういうところ真面目で不器用だよなあ……と思ったのだった。

裏の裏まで晒しはしないが、不要な嘘もつかない。引き留めることはないが、ひどく突き放すこともない。あけすけに見えて慎重、それでいて、ある程度は信頼を寄せてくれている……と思う。ファンに信頼を示すということは、すなわち牽制でもあるのだけれど。
わたしは北山くんの、キスマイの各メンバーと均等な距離を保とうとする姿勢が好きで*2、美徳として好ましく思っているのと同時に、なんとなく憐憫のようなものも、そしてシンパシーもまじっているんだけど、ひょっとするとファンに対する姿勢も少し似ているのかもしれない。できるだけみんなと平等に、心地よい距離を測ろうとするところ。

俺らには俺らの道があって、ファンのみんなにもみんなの道がある。だけど、それを繋いでくれるのが音楽だったり、ライブだったりするのかなって思いますね。

Songs 2012年12月号

そんな距離感で、31歳の北山くんとも付き合っていきたい所存です。お誕生日おめでとうございます。あなたにとっても、わたしにとっても実り多き年になりますように。


個人の活動で目新しいものはなく*3、その分グループの活動にリソースが割けているんだろうな、という2016年だなあ今のところ。その甲斐あってかアルバムとツアーが素晴らしかったので、キスマイ担としては北山P様様ですが、腐っても北山担、新しい仕事は常に待っている。

*1:話のオチは出川さんが引き取ってくれました

*2:キスマイのいいところは「距離感」だと、沖縄で言ってたね

*3:むしろラジオ番組の終了に相当がっくりきた……